研究内容――さらに詳しく
こちらでは、文部科学省のウェブサイトに掲載されているPDF資料と同様の内容を、紙幅の都合で記載できなかったことも含めてまとめています。
●研究の全体像
人類が長期間にわたって宇宙で暮らすためには、健康の維持や食糧の生産といった課題を乗り越える必要があります。そのためには、多様な生命体が宇宙環境でどのように変化するのかを理解する研究が重要です。また、約40億年にわたって地球で育まれてきた生命が、未知の宇宙環境でどのような振る舞いを見せるのかを探ることは、地球環境の変動や今後の惑星間進出に対する生命の適応力を見直す手がかりにもなります。
国際宇宙ステーションの「きぼう」実験棟では、微小重力環境を利用して、マウスをはじめとする動物や植物を対象にさまざまな実験が行われてきました。これにより、宇宙空間では生体の多くの機能が変化することが明らかになっています。ただし、すべての機能が影響を受けるわけではなく、その変化には一定の傾向があります。こうした仕組みの解明は、重力が生物にとってどのような意味を持つのかを理解する手がかりとなります。
興味深いことに、宇宙で起こる変化のなかには、脊椎動物が進化の過程で海から陸へと進出した際に獲得した機能が低下する現象が含まれます。たとえば、陸上での姿勢維持や運動に必要な骨や筋肉、体内のミネラル環境を保つ仕組みなどが、祖先的な状態に近づくような変化を示しています(図1)。

図1: 宇宙で影響を受ける機能と研究項目A01の展開
このような「宇宙における先祖返り」ともいえる現象は、生物の特徴が単に進化によって固定されたものではなく、地球環境に対する絶え間ない応答の結果として成り立っていることを示唆しています(図2)。さらに、マウスを用いた研究では、宇宙滞在の影響が次世代にまで及ぶことが明らかになっています。これまで、生物の基本的な特徴は短期間では変化しないと考えられてきましたが、月や火星のように地球よりも重力が小さい環境では、生命が異なる進化の道を歩む可能性も見えてきました。
生命が陸上での生活に必要な複雑な生体機能を獲得してきた進化の過程は、これまで実験的な解明が難しいとされてきました。しかし、よりフレキシブルな環境応答の部分に注目することで、実験的アプローチがより有効になると考えられます。この視点に立てば、環境への継続的な応答や世代を超えた影響をモデル化することで、生命の過去と未来を予測することも可能になります。
こうした背景のもと、本研究領域では、地球上で生体機能を一定に保つ「恒常性維持機能」と、宇宙環境に応じて変化する「環境応答性」という、相反する二つの性質について、ゲノム(遺伝情報)、エピゲノム(遺伝子のスイッチ)、そして世代を超えた影響の観点から解明を目指しています。さらに、宇宙環境によって地上では見えにくかった機能を引き出すことで、ゲノムに潜在する新たな能力を発見し、その応用につなげることができると期待されます。これにより、宇宙と地球の両方における健康管理や食糧生産、環境対応、さらにはバイオミメティクス(生物模倣技術)といった幅広い分野への貢献が見込まれます。

図2: 継続的な環境応答と世代間影響
●研究項目A01:発生・解剖・生理学的な恒常性維持機能セットポイントの環境による変化
図1に示すように、宇宙環境下で変化する各器官・組織に関わる遺伝子やゲノム領域を同定し、それらに共通するエピゲノム制御の特徴を明らかにします。さらに、重力を感知・伝達する中枢および末梢神経の制御機構や、それらの進化的背景についても詳しく掘り下げていきます。これらの知見を哺乳類以外の生物にも適用することで、動物における重力応答の発達とその制御の仕組みを包括的に理解することを目指します。
●研究項目A02:環境ストレス応答系の制御と世代間影響
酸化ストレス応答、紫外線や放射線への応答、ミトコンドリアの代謝機能などは、生命が陸上環境に適応するうえで重要な役割を果たしてきました。そしてこれらの機能は、宇宙環境でも変化を示すことが知られています(図3)。本項目では、宇宙実験サンプルや地上での模擬実験を用いて、これらの分子機構や世代間における影響を解析し、宇宙環境応答に関与する遺伝子やエピゲノム制御の状態を明らかにしていきます。
●研究項目A03:微生物から生態系、ヒトと社会への展開
植物の宇宙実験では、重力応答に加えて、光や水、接触刺激に対する屈性やストレス応答といった反応がより明瞭に現れることがあります。こうした反応に関与するゲノム領域を特定し、生物の進化系統に沿った比較を行います(図4)。また、重力応答に関連するセンサーや細胞内構造に着目し、進化的な背景を探る「比較メカノバイオロジー」のアプローチを展開していきます(図5)。
●期待される成果と波及効果
これまで地球上での進化によって定着してきたと思われていた生物の基本的な制御系の「頑強性(ロバストネス)」が、重力の喪失という劇的な環境変化によって失われうる「脆弱性」をあわせ持つことは、人類が宇宙に進出して初めて明らかになった重要な発見です。そしてこれは、どのような環境においても適応し、世代を超えて生命をつなごうとする、生命そのものの本質に関わる現象とも言えるでしょう。
本研究領域では、宇宙環境によって浮かび上がる、これまで認識されることのなかったゲノムに刻まれた潜在的な機能や生理的適応の広がりについて、恒常性維持機能と環境ストレス応答を軸に探究し、その頑強性と柔軟性をシステムレベルで解明することを目指します。

図3: A02が対象とする環境・酸素応答系

図4: 光合成生物の機能と重力・環境応答

図5 重力応答系の比較メカノバイオロジーの展開
さらに、こうした知見から得られる理論や仮説を、微生物からヒトに至る多様な生物種に相互に適用し、理論体系と実験系の両面で発展させることで、地球生命の未来を予測する視点を育んでいきます。これを通じて、人類と地球生態系との調和、そして宇宙・惑星への進出という人類の大きな挑戦に貢献する、融合的な生命科学の新たな学理の構築を目指しています(図6)。

図6: 地球生命の持続的生存と発展に資する新たな学理の体系化に向けた取り組み
